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最高裁判所第三小法廷 昭和62年(オ)584号 判決 1987年11月24日

上告人 小早川ユキ子

被上告人 小早川重夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人○○○○、同○○○○○の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

有責配偶者からされた離婚請求であつても、夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、その間に未成熟の子が存在しない場合には、相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、当該請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできないものとするのが当裁判所の判例である(昭和61年(オ)第260号同62年9月2日大法廷判決・民集41巻6号登載予定)。所論引用の判例は、右判例によつて変更されたものである。

原審の適法に確定した事実関係によれば、(1)上告人と被上告人とは、昭和27年6月6日婚姻届出をした夫婦であり、その間に、昭和28年7月2日出生の長女福井操があり、そのほかに子はいない、(2)上告人と被上告人とは、婚姻届出当時ともに小学校教員をしていたが、性格等の違いから家庭内は明るい雰囲気とはいえない状態であつたところ、被上告人は、飲食店の女店主と親密な関係になつたとの噂が広まつたため、右女店主の夫から脅迫され、また、かねて教職には適していないと考えていたことから、昭和31年4月9日ころ、右脅迫から免れるためと、更にこの際適職を見つけて生涯の仕事に就くために、上告人や学校関係者に行先を知らせず単身上京した、(3)被上告人は、昭和32年の終わりころ、妻子のいることを明かしたうえ訴外岩田たま子と付合いを始め、2、3か月ののちに同棲を始めた、(4)上告人は、昭和33年春ころ、上京して被上告人のもとを訪ね、初めて被上告人と岩田の同棲の事実を知つて驚き、被上告人に元に戻つてほしいと懇願したが、被上告人は帰つてくれというばかりであり、その後も何回か話合いがもたれたが、まとまらなかつた、(5)昭和48年ころ、上告人は、既に東京で働いていた操の勧めにより、49歳で小学校教員を退職して上京し、操と同居することとなつたが、その際、被上告人は、荷物の運搬を手伝つたり、種々の手続をするなどして上告人を援助し、その後も、上告人と操の借家の家賃を援助したりし、昭和55年には、操が現在上告人の住んでいる住居を1600万円で購入するに当たり、300万円を負担したほか、昭和59年1月以降は、事実上操の借り入れた住宅ローンの支払いをしている、(6)上告人は、昭和56年春以来、現住居で1人で生活し、年金収入により普通の生活をしているが、昭和31年ころに転落事故に遭つて以来、病気がちで、現在では脳水腫に罹患していて、頭痛に悩まされることがあり、また、被上告人の再三の離婚申入れに対し、結婚した以上どんなことがあろうと戸籍上の夫婦の記載を守り抜きたいという気持からこれを拒否しつづけている、(7)他方、岩田は、被上告人や上告人に対し離婚を要求したりすることなく、上告人や操に対する配慮から妊娠を避け、長年にわたつて被上告人に尽くしてきて既に老境を迎えており、被上告人は、こうした岩田の誠意、愛情に応える気持から、岩田から求められたわけでもないのに、上告人に対し夫婦関係調整の調停の申立をしたが、上告人が4度の調停期日に1度も出頭せず不調となつたため、本件訴訟を提起するに至つた、というのである。

右事実関係のもとにおいては、上告人と被上告人との婚姻については、夫婦としての共同生活の実体を欠き、その回復の見込みが全くない状態に至つたことにより、民法770条1項5号所定の婚姻生活を継続し難い重大な事由があると認められるところ、被上告人は有責配偶者というべきであるが、上告人と被上告人との別居期間は原審の口頭弁論終結時(昭和61年10月15日)まででも約30年に及び、同居期間や双方の年齢と対比するまでもなく相当の長期間であり、しかも、両者の間には未成熟の子がなく、上告人が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情が存するとは認められないから、冒頭説示したところに従い、被上告人の本訴請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすべきではなく、これを認容すべきものである。

以上と同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、右と異なる見解に立つて原判決の違法をいうものであつて、採用することができない。

よつて、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長島敦 裁判官 伊藤正己 安岡滿彦 坂上壽夫)

上告代理人○○○○、同○○○○○の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背の誤りがある。

第一点(経験則違反)

原判決は、夫婦関係破綻につき、著しく経験則に反する事実認定をなしている。裁判における心証形成は、裁判所の自由心証に基づくものであることは論をまたないところであるが、その心証形成が経験則に反するときは、法令違背と解すべきである。

一般に、離婚事件においては、離婚原因についての両当事者の供述は全く相反し、平行線をたどるのが通例である。しかるに、原審は、一方的に被上告人の供述を妄信し、上告人の性格を、「陰気で物事に消極的で、しかも短気であった。そして、感情の起伏が大きく、特に自分の思いどおりに事が運ばないと理性を失った行動にでることがあ」ると認定した。この事実認定の基礎となった重要な証拠は、上告人、被上告人間の長女福井操(以下、単に操という。)の証言であろう。しかし、操は、被上告人が蒸発した当時、2歳9箇月の幼児であったのであり、操の証言は、上告人と被上告人の夫婦関係破綻の原因たる事実に関する限り、過去の経験的事実の陳述ではない。操が、第一審の法廷において、「原告(被上告人)には非がないのですか。」との質問に対し、「どちらが悪いとはいえないと思っています。」と答え、29年前被上告人が家を出て、上告人と別居した気持がわかるような気がすると述べていたとしても、単なる、意見の表明にすぎず、この操の証言をもって被上告人との別居当時の上告人の性格を断じえない。

更に、人の性格は、ごく一部の例外をのぞいては、往々にして、そのおかれた生活環境により重大な影響をうけるものであることは、衆人の経験するところである。従って、仮に、被上告人との別居後、上告人の性格が陰気になってしまったとしても(そして、陰気になったことを被上告人が責めることができないのはもち論であるが)、そのことから、別居開始以前の上告人の性格も陰性で自己中心的であったとは断じがたいのである。昭和30年代の始め頃、ただでさえ諸事にうるさい福島県の田舎町で、世間の冷たい視線のなか2歳の幼児を抱え、退職勧告にも歯をくいしばって頑張らなければならなかった環境、それに加え、別居直後の崖下転落という事故とそれ以来の病気という事情等からすれば、上告人の性格に関する原審の事実認定は、上告人の供述のみを妄信したもので、著しく経験則に反した認定であることは明白である。そして、原判決が、この上告人の性格が、被上告人の蒸発の一因であると認定している以上、この経験則に反する認定が、判決の影響を及ぼすことは明らかである。

第二点(法令解釈の誤り)

一 一般に、有責配偶者の離婚請求を否定すべきことは、既に確立された法理である。すなわち、「民法第770条1項第5号は、相手方の有責行為を必要とするものではないけれども、何人も自己の背徳行為により勝手に夫婦生活破綻の原因をつくりながらそれのみを理由として相手方がなお夫婦関係の継続を望むに拘わらず右法条により離婚を強制するが如きことは、吾人の道徳観念の到底許さない処であって、かかる請求を認容することは法の認めない処と解せざるをえない。」(最高裁判所昭和29年12月14日第三小法廷判決、民集8巻12号2143頁)のであり、もし、かかる請求が是認されるならば、上告人は、「俗にいう踏んだり蹴たりである。法はかくの如き不徳義勝手気侭を許すものではない。道徳を守り、不徳義を許さないことが法の最重要な職分である。総て法はこの趣旨において解釈されなければならない。」(最高裁判所昭和27年2月19日第三小法廷判決、民集6巻2号110頁)のである。

そして、仮に、上告人に夫婦関係破綻につき幾分かの責任かあるとしても、その破綻につき「主として原因を与えた当事者は、みずから離婚の請求をすることができない」(最高裁判所昭和54年12月13日第一小法廷判決、判例時報956号49頁)ものであることも確定した判例である。

二 ところで、原判決は、「被上告人は、○○○町内の某飲食店の女店主の夫からの執拗な脅迫を逃れるためと、さらに、かねての希望である適職を見つけて、生涯の仕事につくこと等のため、昭和31年4月9日頃、上告人と操を残していわゆる蒸発をしたものであるが、この時点では夫婦関係は破綻しかかった状態に止まっていて、いまだ修復不可能とまではいえない状態にあったこと、夫婦関係が、破綻状態になったのは、上告人と別居していた状態に加えて、被上告人が岩田と同棲するようになった昭和33年春頃である」としている。そして、「教師という職業に生き甲斐をみいだすことができずに悩んでいた被上告人が、飲食店の女店主との噂をたてられ、その夫から執拗に脅迫されるという状況におかれたときに、被上告人が蒸発という形をとったについては、上告人の陰性で、自己中心的な性格が影響していた」と認定したうえ、夫婦関係破綻につき、上告人にも幾分かの責任があると考えられる以上、被上告人が岩田と同棲したことにつき、上告人にもなんらかの反省がなされ、その反省の上にたった夫婦関係修復の努力がなされてもよさそうに思われるが、上告人の方からは被上告人との夫婦生活の修復をめざした努力はなされなかった(上告人から別居解消のための積極的働きかけがなされていなかった)ことと、その後の長年月にわたる事実経過及び現在における完全な婚姻破綻状態とを総合して判断すると、30年近く前の原告の非違行為も今ではこれを被上告人の有責行為として、被上告人からの離婚請求を拒否できるほどのものではなくなったと判断している。

三 すなわち、原判決は、婚姻生活の破綻については、被上告人に主たる責任があることを認定している。よって、被上告人からの離婚請求は、有責配偶者からの離婚請求として棄却すべきであったのに、法令の解釈適用を誤り、離婚請求を認容したものであって、破棄を免れない。

四 また、原判決は、婚姻生活の破綻につき被上告人に主たる責任があることを前提としたうえで、<1>上告人にも幾分かの責任があったのだから、反省し、別居解消のための努力をすべきであったのに上告人がそのような努力を怠ったこと、<2>その後の長年月にわたる事実経過、<3>現在における完全な破綻状態を被上告人の有責性を減じる事由として掲げている。しかしながら、原判決の掲げる事由は、以下のとおり、いずれも被上告人の有責性を減じる事由とはなりえないから、有責性を減じる事由と認定して離婚を認容をした原判決は、著しい経験則違反、法令違反である。

1 まず、第1に、原判決は、上告人にも幾分かの責任があったのだから、反省し、別居解消のための努力をすべきであったのに上告人がそのような努力を怠ったことを有責性を減じる事由として掲げている。しかしながら、このことが、被上告人の有責性を軽減する事由となるであろうか。

そもそも、本件の場合、別居解消のための努力を上告人のみに期待することはあまりにも不合理である。原判決の認定している被上告人の蒸発の主たる理由である生き甲斐についての悩み、飲食店の女店主との噂、その夫から脅迫されるという状況に被上告人が陥ったことについては、もっぱら被上告人のみに責任があるのであって、上告人には責任がない。それにもかかわらず、被上告人は、そういった状況から、新学期が始まったばかりの4月9日という時期に、勤務先の小学校が被る計りしれない迷惑をも顧みずに身勝手きわまりない方法で、金銭的な準備もすることなく、無責任に逃避するという形で蒸発したのである。このことからすれば、上告人の側のみが、一方的に別居解消のため積極的働きかけをすべき筋合はないと言わざるをえない。しかも、上告人は、昭和30年代初期の時期に、しかもただでさえ何事につけてうるさい福島県の田舎町で、別居当時2歳の幼児を抱え、好奇の目にさらされ、世間の冷たい視線(退職勧告も含めて)のなかで、しかも教師という責任ある仕事をきちんとこなさなければならない立場におかれていたのである。当時の上告人のおかれた立場は察するにあまりあるところである。当時、被上告人は、そうした生活を余儀なくされた上告人の気持ちを考えたことがあったろうか。さらに、いみじくも原判決が認定しているように、「上告人は、被上告人が行方をくらませた直後頃、通勤途中において、運悪く材木が落ちてきて、崖下に転落し、脳震とうを起すという事故にあい、それ以来、病気がちで、メニエール病、胃炎、胃下垂等に罹患し、現在では脳水腫に罹患していて、頭痛になやまされることがある」のであって、こういった状況からしても、上告人に別居解消のための積極的働きかけを期待する方が無理であろう。原判決では、このような上告人の立場は全く顧みられていないといって、過言ではない。

それどころか、原判決は、上告人と被上告人の別居後、夫婦関係が完全に破綻した昭和32年春頃までの間に、被上告人の側に、別居解消のための何等の積極的働きかけがなかったことを看過している。まして、被上告人は、別居解消のための積極的働きかけどころか、岩田と交際を始め、昭和33年春頃には、岩田と同棲しており、原判決が認定しているとおり、この岩田との同棲時期に一致して、上告人と被上告人の夫婦生活が破綻しているのである。すなわち、被上告人の岩田との交際、同棲は、まさに不貞行為にほかならない。被上告人は、上告人との別居解消のための努力をするどころか、不貞をし、ますます、上告人との夫婦生活を破綻させていっている。そして、昭和33年春頃、上告人が被上告人のもとを訪ね、被上告人が岩田と同棲していることを知り、驚愕した際も、上告人は、被上告人に対し、もとに戻ってほしい旨懇願したが、被上告人のほうでは、そういう上告人の話をうけつけなかったのである。

被上告人が、別居後夫婦生活が破綻するまでの間、なんらかの別居を解消するための働きかけをしたのにもかかわらず、上告人の側がそれに応じようとしなかったという事情でもあるのであれば格別、そうでない限りは、別居後夫婦生活が破綻するまでの間に上告人が別居解消のための積極的働きかけをしていなかったことをもって、被上告人の有責性が軽減されるものではない。結局、原判決は、被上告人の行為を棚にあげた議論であって、かかる前提にたつ原判決は、破棄をまぬかれない。

2 さらに、原判決があげる「別居後の長年月にわたる経過」についても、原判決の掲げる被上告人にかかわる次のような事情は、いづれも被上告人の夫婦生活関係復元のための努力すなわち「和合」のための努力を示すものではなく、従って、被上告人の有責性を減じるものではない。

すなわち、被上告人は、操が小学校に入学する前後に、何回か上告人のもとを訪れ、話合いをもったとしている。しかし、被上告人の話合いは「離婚」の話合いなのであって、決して「和合」のための被上告人の努力ではない(むしろ、上告人の側が、被上告人に戻ってほしいと懇請し、何回か、被上告人のもとを訪れているのである。)。

また、被上告人は、上告人が昭和48年頃上京するに当り、荷物の運搬を手伝ったり、種々の手続をしてやったりして上告人を援助したというが、これも、被上告人との別居、岩田との同棲を前提とした上での行動であって、「和合」のためにやったことではない。

そして、上告人が操と同居するようになってから、被上告人は上告人と操の2人の借家の家賃の援助として年に3・4回、1回につき6万円位を渡していたというが、これは、あくまで操に渡していたものであって、上告人に渡していたものではない。さらに、上告人の現住居の購入にあたり被上告人が金300万円を援助したといっても、その援助は上告人不知の間になされ、しかも上告人に対するものというよりは操に対するもの(不動産の所有名義は操である)であって、夫婦関係破綻についての有責性を減じる事情とはなりえない。そして、昭和59年1月以降は、事実上右不動産のローンの支払いを被上告人がしていることについても同様である。

なお、原判決は、上告人と操との生活、かかわりあいについても、あたかも上告人の陰湿、自己中心的な性格をあらわすものとして、被上告人の有責性を軽減するものであるかのように判示しているが、上告人と操との生活、かかわりあいは、被上告人の有責性とは、何等の因果関係をももたないというべきである。

3 第3に、原判決は、「現在における完全な破綻状態」を被上告人の有責性軽減事由として掲げる。しかし、これは、論理矛盾も甚だしいところである。そもそも、有責配偶者からの離婚請求を許さないといういわゆる有責主義の立場にたつ限り、「夫婦生活の破綻状態」と「夫婦のどちらに破綻についての責任があるか」ということとは、別問題であって、「夫婦生活の破綻状態」が、有責性の軽減事由とはならないことは明白である。

五 以上のとおり、被上告人は、自ら破綻を招いておきながら、それを理由に離婚を請求しているものであり、このような被上告人の請求は、クリーンハンズの原則、信義誠実の原則に反するものであって、許されないところであり、被上告人の請求を認容した原判決は、法令の解釈適用を誤ったというべきである。

以上の点において、原判決は、法令に違背し、この違背は、判決に影響を及ぼすことは明白であるから、原判決の破棄を求め、さらに相当の裁判を求める次第である。

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